赤 岳 (2,078m)
1992.9.11


登山記録は、1992.9.11の記録。写真は1998. 7. 5 日のものです。
その他の登頂、1971.8 (まだ大雪ダムが無い)  1984.7
 
時 刻
発着場所
銀 泉 台9:50
第一花園 10:30
こまくさ平
11:10
第四雪渓 11:40
山   頂 12:20
山   頂 12:25
こまくさ平 13:00
銀 泉 台 14:00
            
 台風の接近と、前線の活発化によって前日から雨が降っている。明日から雨であろうと、前日就寝したが、朝起きてみると、けっこう空が明るく天気がよい。 今日は、実父と同行の登山のため、前日より両親の実家に泊まり込み早朝の出発を目指したが、肝心な登山靴を自宅に忘れるという大失敗を犯し、結局自宅経由となったため、北郷インターチェンジに到着したのは6時頃となってしまった。 高速を順調に飛ばし層雲峡への到着は午前9時、黒岳ロープウエイ駅での休息の後、銀泉台着が午前9時40分
となった。 銀泉台到着時には、雨が小雨程度だったので、登山を行うかどうが、しばし父親と協議の後天候が悪化したら引き返そうということで登山を決定し、9時50分銀泉台で入山届けを済ませ、登山を開始した。 登山口で、工事が中断されている縦断道路を登り本当の登山口へ到着。 登山口よりやや急な登りとなるが道は握り拳大の角石が無数に散らばり歩きにくい。 登山道はその後、緩やかなアップダウンを繰り返し、やがて急な斜面をトラバースするように登り始め、第一お花畑に到着する。 ガイドブックによると、ここまで1時間を要する旨記載があるが約40分で到着した。

 その後、第二お花畑を順調に通過、駒草平へ到着。駒草平のやや手前に雪渓が残り、40メートルほど雪渓の上を登ることとなったが、表面は完全なアイスバーンで帰りが思いやられる。
 
駒草平は紅葉が1から2分程度だったが、歩きやすいこともあって、ずいぶん体力の回復に役立った。駒草平を越え、更に前進すると第三雪渓に到達する。 ここに来て、ようやく前方上に赤岳山頂らしき頂が見える。 第三雪渓は、先程の雪渓と異なりほとんど残っていない状態であるが雪渓の雪どけ水と思われる水が沢ずたいに流れている。 やや急な斜面を一直線に登り、まもなく頂上かと思い、尾根までたどり着くと目前に第四雪渓が、立ちはだかっていた。 第四雪渓の取り付きまではやや平坦な部分が続き、途中から緑岳へと向かうと思われる分岐点があるが道が荒れていて心もとない状態であった。 以前訪れた時には、もっとはっきりと行き先が示されていたと思われる。(現在は第四雪渓の上に登山道が変わっています。) 
第四雪渓にたどり着いた頃より、雨足がにわかに強くなり体からでる水蒸気と相まって眼鏡が曇りだし視界があまり利かなくなる。 こんなとき眼鏡の不自由さが身にしみる。 第四雪渓の登りは思ったよりきつく所々で休憩を取りながら山頂を目指すこととなった。 第三雪渓であとわずかで頂上と思った精神的影響もあると思われる。 こまかい火山灰の道を喘ぎながら約40分かかって、ようやく山頂に到達する。 

 山頂は風雨が強く濡れた軍手から急速に体温が奪われ、手が麻痺したようになり、指先が利かない。 予定では山頂で休憩し昼食を取る予定であったが、そんなことをやっている余裕などない雨と風の強さである。 相談の結果途中風雨の収まったところで昼食を取ることとし、山頂までたどり着いたという証拠となる記念写真取ったの後、急いで下山する。 山道は、登って来た際と異なり登山道がかなり冠水しており、登山靴に徐々に水がしみこんできている。 雨風は一向に収まる気配はなく、逆に天候が悪化しているように思われる。駒草平に到着するが風雨は一向に収まる気配はなく止む終えずにぎりめしを体力低下防止用として1個のみ雨の中立って頬張る。 折からの寒さのため非常に固くなっており、食べにくい。 靴に進入する雨と戦いながら急いで下山する。約1時間
20分ほどで銀泉台に到着したが、握拳大の角石がやはり下山の際にも障害となった。銀泉台に到着後営林署で下山の報告をしたが、今日入山したのは我々2名のみであったとのこと。 銀泉台では紅葉見物をかねて登山に訪れた車が数台駐車していたが、この天候で、皆諦めたようである。 濡れた登山用具をビニール袋にしまい込み車中で休息後今夜の宿泊先である層雲峡温泉へ向かう。

今回の登山での教訓
1.雨の中での登山では軍手のスペアを多めに持参すること。
2.視界確保のため眼鏡の曇り止めの措置を講じる必要あり。
3.保温性に富んだ雨具が必要であること。

 


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